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講演会レポート

本記事は、2016 年5月28日に長野県で開催された市民公開講座『パーキンソン病、ともに歩む』内で行われました、全国パーキンソン病友の会・長野県支部・支部長の織田史彦さんと元主治医の宮下医院 神経内科 宮下暢夫先生との対談 『実践編:私の歩み方』の記録です。織田さんはパーキンソン病を患っており、DBS(脳深部刺激療法)を受けられています。本対談内で、織田さんは、病気が発症した当時の心境やDBSに対する正直な考えなどをお話しされました。
症状編: よりよい明日のために知っておくべきこと
宮下暢夫先生 (宮下医院 神経内科)
⇒ 当日の講演内容はこちらからご覧いただけます
(パーキンソン病友の会 長野支部 会報より抜粋)
手術編: 手術の実際を知る
八子武裕先生 (相澤病院 脳神経外科)
⇒ 当日の講演内容はこちらからご覧いただけます
(パーキンソン病友の会 長野支部 会報より抜粋)
対談:パーキンソン病、ともに歩む〜私の歩み方〜
宮下先生 x 八子先生 x 織田様(全国パーキンソン病友の会 長野支部 支部長)
⇒ 当日の対談内容は以下に掲載してあります。

手が震え始めて、最初はどこの診療科に行っていいのかわかりませんでした。

宮下: 織田さんがパーキンソン病になられたのは、おいくつのときですか?

織田: 40歳少し前だったと思います。当時、仕事の関係でお得意先にお酌することがよくあったのですが、そういう時に手が震えるんですよ。「何、緊張してんだ、お前は」と上司から散々怒られました。

宮下: すぐにパーキンソン病と診断されたわけではないんですよね。何年か経ってからだった。

織田: そうですね。皆さん同じだと思いますけれども、最初はどこに行っていいのかわからない。脳外科にも行きました。脳外科でMRIやCTを撮ったら、その日のうちに、神経内科へ行くことを勧められました。神経内科が何するところか、当時は全く知りませんでしたので、何のために行かなければいけないのかわかりませんでした。紹介状をいただいて行きましたが、それでも確定診断までに1、2年はかかったと思います。

宮下: 最初にパーキンソン病と診断されたときには、織田さんはどのように感じられましたか?

織田: 私の持つ信仰によりますと、病気も全部恵みなんですよ。私たちの人生はすべて与えられたものなんです。ですから、この病気も与えられたものということで、平安な気持でいることができました。ですから、病名がわかり「へえーっ」というのが正直な気持ちでした。一番安心したのは、「あなた、パーキンソン病ですよ」と言われたときです。だって、それまで検査しても何も出ないから。「あ、異常ありません、これも異常ありません」という回答が一番嫌でしたね。

宮下: パーキンソン病は特にそうですけれど、神経内科の病気というのは画像では診断が難しく、しっかり時間をかけてお話を聞いて診察しないと診断ができない。そしてお薬の治療が始まりましたよね?

織田: ええ、そうです。パーキンソン病と診断が出たその日から飲む薬が出ました。

宮下: しばらくは、いわゆるお薬との蜜月期間はあったわけですよね。

織田: はい、5年ぐらいありました。傍から見ると全くパーキンソン病だとわからなかったと思います。手の震えも別にないので。他にも姿勢の異常もないし、普通に歩けるし、普通に仕事もしていました。

宮下: パーキンソン病のお薬というのは、飲み始めてから3年から5年ぐらいまでは非常に効くと言われているんです。それから、だんだん様々な副作用や問題が起こってくるわけです。織田さんの記録を見返してきたのですが、私のところにおいでになったのが平成18年。診断されたときから、ちょうど5年ぐらい経ったときに別の病院から私のところに紹介されて来られました。どうして紹介されたのか、覚えていますか?

織田: はい、覚えています。やはり、(薬の副作用で)衝動制御障害といって、パチンコやギャンブル等に傾注する場合があるといいますが、私もその中の一つに苦しみました。もう自分でもおかしいなと思いながら止められないのです。これはおかしいということで、妻が当時の主治医のところに行って相談したら、宮下先生のところへバトンタッチということになりました。

宮下: 織田さんのパーキンソン病の発症は確か39歳なので、若年性パーキンソン病なんですね。若年性の方はお薬が非常に良く効きますが、副作用が割と早く出やすいです。当時いろいろな薬を飲まれていましたが、一つの薬が効き過ぎているのではということで、減らしていったんですよね。減らしていってどうだったか覚えていますか?

織田: あまりよく覚えていませんが、とにかく身体が動かなくなってきたのは事実です。動かないんです。これははっきりと覚えていますが、会社の健康診断でレントゲンを撮る必要がありました。薬の効きが切れると、身体が全く動かなくなる。いつ、どこで動かなくなるかわかりませんから、会社でレントゲンなど撮れないわけです。そこで先生のところで撮ろうと行きましたが、体が思うように動かないので断念して、2回目にやっと撮れたという記憶があります。

宮下: そうだったんですね。薬を減らすことで、衝動制御障害はだいぶ良くなりましたか?

織田: そうですね。

宮下: 生活に支障がなくなるくらいまで良くなりましたか?

織田: はい。

薬でのコントロールが限界になってきたので、次の手、次の手と打っていただきました。ところが、それでもあまり効かない。効いても短時間で終ってしまう。そうなると次は手術しかないな、と家内ともよく話をしました。

宮下: 当時いつも奥さんと一緒に診察に来てくださって、奥さんからものすごい量の薬を飲んでいたとお話を伺いました。私も薬を出したくて出したわけではないのですが、やはり副作用が出ないよう薬を増やしていかないと効いてこない。当時の記録を見てみたら、一番大変だったときは、1日のうちで動ける時間帯が10から20%。ほぼ動けない時間は70%ぐらいで、全然動けないのは10%。ですから、8割ぐらいは動けないと、織田さんがおっしゃっているんですよね。
手術を受けてはどうかと話していたのは、その頃でしたね。私から勧めたのか、織田さんからだったのか、覚えていますか?

織田: はっきりとは覚えていませんが、先生と私が「せーの、よーい、ドン」と言いだしたような感じだったかもしれません。私には日本中にインターネットを介した仲間がいます。その仲間から、DBSという手術があるということは聞いていました。「なんちゅう手術なんだ」と思っていました。それで知っていました。

宮下: なんちゅうことだと思っていたのが、手術に興味を持ったきっかけは何ですか?

織田: 先生のところへご厄介になるようになった頃には、もう薬が限界になっていて、自分でもわかってきていたので、「あ、こいつはいかん」と、次の手、次の手と打っていただきました。ところが、それでも全然効かない。効いても短時間で終ってしまう。そうなると次は手術しかないな、と家内ともよく話をしました。結論的には、手術を受けるしかないということで決めました。思い返すと、私からご相談したかもしれないですね。

宮下: そのような状態でしたから、私もDBSの時期かなという感触はありました。織田さんは、今はリタイアされていますが、当時は勤めてらっしゃいましたよね。あるプロジェクトが一段落するまでは手術できないけれど、一段落する秋まで待って手術しようかという話が記録に残っています。

織田: 当時は中間管理職をやっていまして、そのプロジェクトさえ終わればDBS手術に踏み切れる、と思っていました。

〜手術、そして手術後について〜

織田: 5月に検査入院をして、9月に手術を受けました。その間は悶々としていましたね。「もう早くやるならやってくれー」という風な感じでした。

宮下: 手術は、どのぐらい時間が掛かりました?

織田: 前半の埋め込みだけで10時間。朝の9時に手術室に入って、夜7時に多分出てきたと思いますけれど、記憶が定かではありません。

宮下: 手術の後も、だいぶ入院されたのですか?

織田: はい。手術後、DBSの調整が合わなくて。DBSのスイッチを入れた途端に走り出したのをしっかりと覚えています。入院中トイレに行く際には看護師さんが連れて行ってくれますが、その看護師さんが車椅子を押して後ろから付いてきても間に合わないぐらい。でも本人は、動きたくない。止まりたいが止まれないという状況になりました。あとは、首の振れが始まったりして、諸々あって少し億劫でした。

宮下: DBSの手術後は、このようにチューニング(DBSの調整)が必要となりますね。このチューニングというのは、電圧を調整したりしますが、基本的にわれわれ神経内科医が薬の調整をするのと同じなんです。様々な設定値を動かしていって、その患者さんに合う値を細かく調整していきますが、一発で合ってしまう人もいるそうですね。

織田: ええ、いらっしゃいます。「なんで僕だけこんなに時間が掛かるんだ」と当時は思いました。主治医の問題では、と言って怒られましたけれど。(笑)

宮下: そうですね(笑)。でも、それもやはり個人差ですね。
手術してどうですか、薬は減りましたか?

織田: 抗パーキンソン病薬と呼ばれている薬、アゴニストやいわゆるL−ドパ等からはじまりその他の抗パ-キンソン病薬の上位2種類だけで1日30錠近い薬を当時飲んでいましたが、これが3錠になりました。

宮下: 30錠が3錠。大きな差ですね。

織田: 全然違いますね。あとはいわゆるオン・オフはなくなりました。表現的には非常に難しいですが、「弱オフ」。少し真ん中よりやや悪めかなという状態が、ずーっと続くのです。でも逆に波がないから楽なんです。そういう状態が続きました。今もずっとこうやって、ほとんど変わっていません。

宮下: お薬は少しずつ増えていますよね?

織田: でも、増えているのは睡眠導入剤くらいで、あとはそれほど増えていません。

宮下: DBS治療を受けて、すごく良かったわけですね。薬も減っているしね。

織田: はい。

宮下: いいことばかりではなくて、悪いことはなかったですか?

織田: もちろんありました。さきほど少し申し上げた、いわゆる突進歩行です。あとは言葉がすごく出ないということはありましたが、これは両方とも最初からわかっていましたので、私にとっては「折り込み済み」でした。私、震えがものすごかったんですよ。ペットボトルを持てないくらい。これでは薬が飲めないくらい震えていました。(DBS後は)ピタッと止まって、薬の量も減りましたので、手術でいただいた恵みが、手術のマイナス面を完全に上回っているような状態ですね。手術は大成功だと私は思っています。

患者さんやご家族へのメッセージ

宮下: 最後に織田さんから今日聴衆で来ていらっしゃる患者さんやご家族に、DBSも含めてパーキンソン病のことを当事者として何かメッセージをお願いします。

織田: まず一つ目は、(パーキンソン病の)治療の仕方というのは、1に薬、2にリハビリ、3にDBS。そして4にこれからおそらくデータが出るであろうiPS細胞だと思っています。これらの治療法単発で良くなろうと考えてもそうはいきませんから、皆さん、リハビリを頑張ってやりましょう。身体を動かすことは非常に大切ですからね。
2番目。手術を受けると決めたら、術後の具体的な目標を皆さん持ちましょう。例えば、お孫さんを抱きたい、農作業をしたい、もう1回会社員に復職したいなど。具体的な目標があると、手術に対するやる気が出るんですよ。
3番目には、やはり脳神経外科と脳神経内科がチームで連携しているような病院を選んだほうがいいと思います。手術後は薬も電圧も調整しないといけない。まるで連立方程式のようですから、チーム医療で対応できる病院を選ぶことが大切だと思います。
最後に、これが一番大事だと思いますが、多少の問題はありますが、いろいろ考えずに病気と向き合う、ということです。以上です。

宮下: ありがとうございました。私がメッセージに込めたことと同じようなことを織田さんもおっしゃってくださったと思います。私は、医師として治療目標を設定しますが、患者さんも人生の目標を設定しないといけない。そのために治療をどうするかを考えます。それと、先ほど織田さんがおっしゃったように、チームで取り組む。私は神経内科の立場ですけども、私も手術に携わっていたことがありますので、よくわかります。織田さん、友の会長野県支部のために、頑張っていただきたいと思います。今日は、どうもありがとうございました。

織田: どうもありがとうございます。


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