DBS体験談

DBSを受けていなかったら、今頃は仕事をあきらめていたと思います。

  • 高代 裕一郎さん/52歳/男性/大阪府
  • 発症時年齢 33歳
  • DBS手術時年齢 43歳

朝の通勤中にすくみ足が出て転倒してしまい、手を怪我したこともありました。

33歳の頃に左手が震え始めましたが、当時はあまり気になりませんでした。次第に右足も震え始め足の踏み出しが悪くなり、不自由を感じるようになったので、大阪市内の総合病院でMRI検査等をしてもらい、パーキンソン病と診断されました。病名は聞いたことある程度でしたが、難病ということでショックでした。診断後すぐに薬による治療が始まりました。その後3年間で薬がどんどん増えていき、多い時で20錠以上飲んでいました。36歳の時には初めて、薬剤調整のために2週間入院しました。

日常生活では、薬が切れてオフの状態になると家の中で歩くのが困難となり、這って動くようになっていました。外出中にはすくみ足のため転んでしまったり、突進歩行で人にぶつかりそうになったりしていました。朝の通勤中にすくみが出てつんのめってしまい、手を怪我したこともありました。

そして発病から10年過ぎたころから、ジスキネジアが出始めました。これ以上薬を増やせないし、当時通っていた病院ではDBSの手術ができないということで、2008年に近隣の病院の神経内科医を紹介してもらいました。DBSという治療法については、以前に薬剤調整で入院した際に他の患者さんから聞いたり、本で調べたりして多少の知識はありました。しかし、脳に穴を開けて手術することに抵抗がありましたし、局所麻酔で意識がある中で脳に電極を2本入れる手術が行われることも恐怖でしたので、期待と不安が半々といった気持でした。それでもDBS手術をすることに迷いがなかったのは、薬物治療に限界を感じていたからです。当時、生活は介助なしで何とか過ごせる状態ではあったものの、少しでも症状が良くなる可能性があるのなら、家族もやってみた方がいいと協力してくれました。

実際に手術を受けてみて

43歳の8月、手術前に1カ月ほど、さまざまな検査を行うために入院しました。これが凄くきつかった。当時20錠程飲んでいた薬を1つずつ減らしていき、最後にはゼロまで減らしていくのです。その状態で開いたドアを通り抜けるテスト等を行いました。その後、薬の量を戻していき、DBSの適応となるか評価を行いました。精神科で精神面の評価も行いました。引き算や記憶力に加え、「太平洋戦争が起こった年は?」「今までに一番嬉しかったことは?」など聞かれたことを覚えています。そういうわけで、手術当日は逆に開き直れて楽でした。一連の検査の結果、神経内科の主治医からDBS手術を受けることができることを聞いたときは、ほっとしました。3カ月後に手術することが決まり、手術日まで仕事はフレックスタイム制で続けました。

DBSの手術のために、11月10日に入院し、年末まで病院にいました。手術に関する細かい説明は、入院後に担当の脳神経外科医から直接受けました。手術当日は朝7時から頭を固定するフレームを着用し、「ぱぴぷぺぽ」などの話し方の確認をしたり、手足の震えをみたりしながら脳内に留置する電極の位置を決めていきました。夕方に手術が終わりましたが、午後に全身麻酔をしてからは何も覚えていません。この日は開き直っていたので、どうということはありませんでしたが、さすがに最初に頭に穴を開ける時は怖かったです。

現在の症状と術後の通院

手術前は、震え、すくみ、突進、ジスキネジアの全てで困っていたので、それらを軽減する目的で手術をしました。結果、症状は大幅に改善されました。震えは全く出なくなり、真っ直ぐ座れなかったのが座れるようになりました。突進歩行とすくみは今でも出ることがあります。突進歩行は身構えられるのでいいですが、すくみが出るとつんのめって転倒する危険があるので困ります。しかし、頻度は大幅に減りました。また手術前と比べて薬の量を減らすことができましたし、気持ちも前向きになりました。

手術後は薬の調整とDBSの調整をするため、同病院の神経内科に3ヶ月に1回通っています。半年に1回は、手術をしてくださった脳神経外科医にも刺激の確認と傷口の確認をしてもらっています。自分では、毎日電池残量の確認のみ行っています。ちょうど去年、DBS装置の電池がなくなったので、胸元に入れている装置を交換しました。交換時にDBSの電源を切ったのですが、すぐに震えが始まり、体も動かせなくなり、再びスイッチ入れるまで辛かったのを覚えています。それほど今でもDBSが効いているということなので、ありがたいです。


会社の同僚と行ったタコ釣り。 大阪の泉大津にて(2014年)

これからやってみたいこと、メッセージ

DBSを受けていなかったら、今頃は仕事をあきらめていたと思います。ですので、これからも仕事を続けていきます! 手術、特に頭に穴を開けると聞くと抵抗がある方も多いと思いますが、勇気をもって手術して本当によかったです。もしもDBSをしていなかったら、今頃どうなっていたことか・・・引きこもりになっていたかもしれない。迷われている方は、是非受けてみて欲しいと思います。

 

(2016年11月)

主治医のコメント

高代さんがDBSを受けられたのは8年前になります。受診された時は日内変動がひどく、オン時はおおむね不自由ないものの、オフ時は何をするにも時間がかかり、動作によっては介助も必要な状態でした。日常生活が不自由であるだけでなく、当時43歳の高代さんにとっては、お仕事や将来の人生を考えると非常に不安も大きかったのではないかと思います。

検査入院では、完全に薬が切れると何をするにも介助が必要な状態になってしまう一方で、十分薬が効けばほぼ正常の日常生活を送れることがわかりました。オンとオフの落差が激しい状態で、DBSの導入によってオフを浅く短くできれば生活しやすくなると予想されました。実際のDBSの効果は高代さんのお話にある通りです。

その後もお仕事を続けられるなど、元気に過ごして頂いているのは大変うれしく、まさに主治医冥利に尽きます。ただ、それを可能にしたのは高代さん自身の前向きで着実な取り組み、ご家族の支え、そして職場などの周囲の方の理解だと思います。薬剤やDBSなどの治療はもちろん大事ですが、積極的な運動や活動的な日常生活が伴わないと効果を発揮できません。また、薬の服用やDBSの管理などを実際に行うのは患者さんであり、患者さんは治療の主人公なのです。高代さんは一貫して主人公として取り組んでおられます。

パーキンソン病は原因不明で進行性の病気であり、罹ったのは誰のせいでもありません。「なぜ自分が?」というやり場のない気持ちを乗り越えて、人生を生き抜いてほしいと思います。そのためにDBSが役に立ちそうであれば、考えて見られることをお勧めします。

監修:斎木 英資 先生(公益財団法人 田附興風会 医学研究所 北野病院 神経内科)

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